私の離婚の経緯と現在
私(行政書士 鶴田)は長年、損害保険会社に勤務して東京を皮切りにあちこちを転勤しておりました。
福岡の実父の看病・看護のために退職しまして、その後、商社のエネルギー化学部門の福岡勤務へ転職いたしました。
結婚18年目を迎えました夫婦は喧嘩することもなく平穏な日々で幸せでした。
しかし、会社の部門統合の一環でグループ会社との合併発表と同時にエネルギー化学部門と資材部門の社員全員の一斉リストラが本社にて発表されました。
毎年会社は黒字決算なのに上は常務から下は入社したばかりの女の子まで問答無用の福岡だけで50人以上の全員リストラでした(涙)。
私は当時40代前半で子供たちはまだ小学生。福岡に戻って購入したばかりの住宅のローンもあり、夫婦・家族の最大の危機が訪れました。
時は大不況の真っ只中、新卒の大学生の就職も厳しいような状況でハローワークは失業者があふれ整理券が配られているような有様でした。
この時から夫婦間の言争いが絶えなくなり、私は自暴自棄になり、だんだん追い込まれていきました。
何も知らない子供たちの手前、スーツを着て毎朝ハローワークに “出勤” していましたがお昼には終わりますので、お金も使えず公園のベンチで夕方まで一人みじめに時間をつぶしていました。(涙)
私は就職活動を続けましたが良い仕事は見つからず、ますます妻やその実家とも険悪な雰囲気になっていきました。
精神的に追い込まれた私が結婚以来初めて口論後に妻に手を上げたのもこの頃でした。
私から離婚を切り出し、別居をしましたが数ヶ月の夫婦の協議の結論で “子供たちのため” にやり直すことになりました。
しかし “子供たちのため” に夫婦が我慢し続けていても、夫や妻が心からお互いに己を省みて、再度信じあってやり直しをしないとやはり長続きはしません。
数ヵ月後、今度は妻が子供たちを連れて突然別居し、妻の依頼した弁護士からの「受任通知」なる書面が送られてきました。
急ぎ、妻の代理人の弁護士を訪問しましたが「あなたとは直接話はしない。裁判所で話しましょう!」と高圧的に一蹴されてしまいました。
その後、子供たちにもなかなか会わせてもらえませんでした。
そして警察から連絡がありDV法に基づく事情聴取を受けました。
妻に手を上げた事実は認めましたが、妻の警察への言い分は事実とは違うことをいくら述べても受け付けてもらえませんでした。
家庭裁判所から「調停期日通知書」が送られてきて、当時の私はどうしてよいのか分からず、前々から少し存じておりました法律事務所を訪ねました。
所長の弁護士は弁護士暦が長いあたりのよい温厚なベテランの先生でしたが、私の担当になりました弁護士は30代半ばの社会人経験がまったく無い未婚の弁護士でした。
調停は7ヶ月間おこなわれ、当初は私がDVやモラハラをおこなう悪者という状態の調停が続きました。
弁護士は調停中に代理人として “同席” してくれますが、訴訟と違って当事者本人が基本的に毎回出席して発言しなければなりませんので、調停委員は当事者である私中心に話しかけて実情や意見を聞きます。
しかし訴訟は代理人がいましたら原則本人は裁判所に行く必要はありません。
訴訟は代理人がいなければあなた自身が出向いて出廷し、夫や妻の代理人と裁判所で争点整理や法廷で面と向かい合って口頭弁論をずっとおこなわなけばならないので、訴訟だけで総額約70万円~100万円程度の弁護士費用がかかりますが弁護士に必ず依頼をすべきです。
調停は訴訟とは違い本人と調停委員が話し合う場です。
そして相手方やその代理人とは調停中は同室にはなりません。それぞれ別室でおこなわれます。
調停はあなたが納得しなければ相手方の言う条件で離婚になることは決してありません。
しかも代理人がいても本人は原則毎回出席して調停委員に意見や考えを述べなくてはなりません。
よって調停だけが終わるまでの約50万円~80万円かかる弁護士依頼総費用を考えますと私の実際の経験から、相手方が粗暴で常識の通用しない方や陰湿で反社会的な方でなければ、大半の方の離婚協議や調停は代理人なしでも何とかなると思いますし、実際何とかなっています。
その後、調停期間中に娘が妻の元から突然家出をして私の元へ来て、その後に息子も同じく家出をして私の元へ来ました。
子供たちは私との生活を希望していました。
妻側は「子供を返せ!」と仮処分の申し立てをおこなってきましたが、私は即座に子供たちの自主的な意思だと数十ページの反論書を即日出して、その後に家庭裁判所調査官の子供たちと私への聞き取り調査や自宅への訪問調査がおこなわれました結果、私が子供たちの監護・養育をすることになりました。
子供を私はひとりで一生懸命そだてようと決意し、私から改めて離婚を強く希望しました。
家族や夫婦のそれまでの “真実” を子供たちが裁判所での個人面談時に調査官に語ってくれましたので、私への風向きが少しずつ変わってきました。
しかし、親権について夫婦双方の歩み寄りが出来ず、審判を仰ぐことになり離婚と2人の子供たちの希望にそって親権は私という離婚審判が下されました。
しかし妻側はこれを認めず異議申し立て・即時抗告をおこなってきましたので、8ヶ月間の期日通知から調停までの期間はただお金と時間を費やすだけの結果となりました。
結果、調停では何も決まりませんでしたが私は法律事務所へ諸々合計40万円以上の報酬を支払いました。
弁護士から裁判になれば別な契約になるので改めて別契約が必要だと言われ、また新ためて着手金がいるとの事務的な説明を受けましたが丁重にお断りを入れました。
無職状態の私にはもうまとまったお金が一切ありませんでした。(涙)
全ての預金を妻が別居時に持ち出していました。
とっくに失業保険の給付も終わり、私は2人の子供との3人の生活のために契約社員でトラック運転手として昼は働き、夜は司法書士と行政書士のダブル資格取得のために資格予備校に通うことにしました。
(写真はトラック時代の私と娘です)
悪いときには悪いことが続きまして、実父が急逝し、事情により私の育った実家を処分せざるを得ない状況になりました。
父の葬儀、四十九日が終わり、妻に離婚をしてほしい旨の謝罪も込めた手紙を何度か送りましたが返事はなく、妻の弁護士に連絡をしましたら「あなたの奥さんは離婚はしないが、やり直す事もない。このままずっと別居する。」と聞かされました。
今、離婚に応じると子供達の親権を確実に失う妻の立場を考えますとその答えは当然のことだと思いました。
私はある別な弁護士を紹介されて訪ねまして、経緯を話し今後の事を相談いたしました。
その先生からは非正規雇用の契約社員で収入の少ない私に初めて法テラスの法律扶助を受けることを勧められましたが、それは代理人費用を分割払いで返済する借金をすることに何ら変わりがありません。(総費用は先生のこころ配りで少しばかり安くなりますが・・・)
とても貧乏な私は自分の力で進めていくことを決心しました。
先生には法律相談で定期的に訪れることで了解いただき、準備書面、訴状などの書類の作成方法や、その添削、口頭弁論の心構えやテクニックなどをアシストしていただくことになりました。
長年の損害保険会社で全国各地の反社会的勢力の方々や法人などとの示談交渉もしていた交渉経験や営業担当で大手企業の法人別動体代理店への企画営業や折衝経験・書類作成などでの交渉スキルやプレゼンの経験を何とか見込んでもらいまして、本人訴訟のオピニオンとしてお力を貸していただきました。
本当にハートフルな先生で目先の利益ではなく心から私を支えて頂きました。
先生の熱血指導で離婚の法律や判例、その交渉・駆け引きなどを勉強いたしました。
「是は是、非は非、を素直に認めるべし」 「損して得を取れ」 「浮気もDV(暴力)も一発やってしまったら慰謝料100万円」 「やるだけやったら諦めも肝心」 「時には負けるが勝ち」 など含蓄ある貴重な心にしみる?名言を教えて頂きました。
結局、数か月後、短期間で裁判所の和解案を双方が受け入れまして2年以上の月日が過ぎて離婚が成立いたしました。
妻が持ち出した預金は財産分与ですべて妻に与えて、ローンが残った自宅以外は無一文からのスタートになりました。
私の離婚は無駄な回り道だらけの失敗した離婚でした。
今思えば謙虚な気持ちを持って、家族の危機をプライドを捨てて夫婦で乗り切っていくチャンスはいくらでもあったと思います。
離婚の協議の途中でいくらでも引き返すチャンスはあったと思います。
当時の自分の粋がった傲慢さや謙虚の無さを悔やんでも悔やみきれません。
子供たちにただ苦労をかけてしまいました。
父子家庭になってからのこの15年間は子供たちのために頑張ってきました。
離婚の手順においても、お金のことを考えたら協議や調停は法律家や専門家のアドバイスやアシストを受けて自分だけでおこない、逆に訴訟では代理人をしっかりと依頼すべきでした。
協議から調停、訴訟まですべてを弁護士に依頼すると100万円プラスα以上の費用が必要になると思います。
夫婦の双方が代理人を立てたら夫婦合計でこの2倍の金額が夫婦から消えます。
その分を財産分与や子供たちのために何とか残すべきです。
協議や調停でも夫や妻が高圧的で粗暴な方、反社会的な方、暴力的な方、ストーカー的で陰湿な方など、普通人の常識が通用しない方の場合は必ず弁護士に代理人を依頼して、正面から盾となってもらい力を発揮してもらうべきです。
離婚給付や条件には結婚年数・収入・子供の有無・過失の大小・寄与分などに応じた ”決まった相場” がありますので、それをしっかりと学び、知り、そして協議や調停で本人が書面(通知書・回答書・申立の実情・陳述書 etc )にしっかりと書いて専門家に指導・添削してもらって提出して、まっすぐに毅然と誠実に正論で、皮肉など言わず対応すればそれで良いのです。
法的なルールや判例は推薦します書籍やHP、さらに必要ならば相談を通じて弁護士や専門家にしっかりと教わることで大体大丈夫ですよ。
刑事事件や民事事件と違って、家事事件である離婚の分野は弁護士を代理人とする程の難しい法律や難解な判例はありませんので、それだけを徹底的に学習し、交渉術や折衝術を知り、客観的な人間としての「心」を学び、 こちらは「素人」ですのでカッカせずに誠実で謙虚な態度でツボを押さえて難しい言葉などは必要ありませんので、人間味ある対応をすることで大半は解決できます。
私の2年間の離婚までの年月で何が一番つらかったかというと、その間の葛藤、怒りや憎しみ、悲しみ、募る疑心暗鬼・・・・毎日毎日同じことばかりを繰り返し考え続けていたことです。
最後は自己嫌悪と自信喪失で生きていくことが本当につらい状態でした。
法律専門家は事務的には付き合ってくれますが、このような人生相談はあまり聞いてはくれませんし、もしも聞いてくれても離婚経験がない方だとあなたの本音は決して分かりません。
社会人経験が希薄な方、結婚されていない方、離婚経験がない方、子供のいない方、お金や仕事で苦労したことない方に悩みを相談してもポイントがずれるだけです。
こればかりは人の話やビジネスで見聞きしても、離婚経験者にしか分からない未体験ゾーンです。
まだまだ先の今は何も起きてはいない先の最悪の結果ばかりを考えてしまい疑心暗鬼に怯える毎日でした。
親にも友人にも相談できず、もし少しばかり相談しても決して本音は明かせませんでした。
新聞や雑誌やテレビを見ることも少なくなり、楽しみがどんどん少なくなっていきました。
“疑心暗鬼” ・・・心の中の2匹の鬼によって、先が見えない無限の葛藤に引きずり込まれる日々でした。
最後には自分のこれまでの人生を全て否定することしか考えられず本当に飛び降り自殺までおこないかけてしまいました。
リストラ失業、親の死、育った実家の処分、非正規雇用の不安定な生活と生きるための慣れない肉体労働、そして 幸せだった夫婦や家庭の崩壊、金の切れ目(失業)が縁の切れ目・・・・私の数え42歳の厄年の数年間の時期は本当に本当に不幸のビッグ・マウンテン?でした。(涙)
まずは最初に思い切ってつらい胸のうちのすべてを話してもらって気持ちを楽にすることを一緒に考えながら、自分と相手方の立ち位置を確認してあなたの出した条件で相手方にメリットを感じさせることができるのか、あなたの離婚のメリットやデメリットは何かを考えながら、同時にひまわりの顧問弁護士からも法律の力を借りて事務的な解決を図っていきましょう。
今あなたにメリットがなければやり直しや離婚をする必要はありません。逆に言えば相手方もメリットがなければ離婚もやり直しもしないということです。
自分の論理で「法律だ、合法だ、違法だ、権利だ、義務だ、不当だ、妥当だ、当然だ」とハードな言葉でまともに相手に言っては喧嘩を売るのと同じで相手方は納得するどころか、ただ相手方の闘争心をあおって長引くだけですよ。
高圧的な態度や文言で相手方を硬化させては何にもなりませんよ。
協議も調停も相手方が「いやだ!」と言えばそれまでです。(逆にあなたも拒否すればすぐに離婚にはなりません)
何年後かの離婚訴訟では前もって判例や法律で決まっていたことが命令(判決)されるだけです。
しかし、何年もの時間や、大金が消えて、当たり前のことが命令できまるだけで、貴重な時間やお金が無駄になるだけです。
代理人を付けたからと言っても、最初から分かりきっていた判決や和解が出るだけで、ウルトラCなどはありません。
協議中・調停中・訴訟中の死ぬほどつらい時期に親しい友人の家に愚痴を言いに行くように、毎週、毎月、相談に皆さんお越しになっています。
まずは気持ちが平穏無事に落ち着き、冷静で謙虚でニュートラルになっていませんと客観的な正しい判断や正確な受け答えが出来ませんよ。
皆様が心を整えられた後は、私は行政書士として 「離婚協議書」 「示談書」 「慰謝料請求書」 「公正証書」 「私文書認証」 「内容証明」 「上申書」 「遺産分割協議書」 「遺言書」 「告訴状」 「申入書」 「覚書」 「経緯書」 「通知書」 「顛末書」 「離婚届」 「契約書」 etc・・・など権利・義務に関します書類のご相談や解決のお申し付けはお任せください。
私事で恐縮ですが、離婚で争っています時に小学生だった娘(上記の写真)が大学を卒業して小学校の先生になりました。
娘曰く、「親が離婚した子供たちは親権を持った親と割り切って生きていく覚悟がすでに出来ているけど、両親が離婚してなくて、不仲で不安定な状態を続けている子供が今は一番心配だ!」と言っています。
私に対しては「“子供のため 子供のため”と言って両親が子供を “だし” にして何度もやり直しや別居を繰り返して本当にいい迷惑だったよ。」と今は笑って言ってくれますがその通りだったと思いますね。
不仲で心に血の通っていない不仲な両親がそばにいることが子供たちにとって一番不幸なことだったのですね。
「子供のために離婚しない」というお父さんやお母さんが多くおられますが、子供も不幸になり、夫婦も不幸になるだけです。
子供はそのような親を見ながら育ち、引きこもりやヤンキーになっていくケースが多く、いずれ子供たちは就職や結婚をして親の手元から離れていきます。
そこからが本当の夫婦として二人っきりの人生が30年も40年も続いていきます。
その時から二人で旅行に行ったり同じ趣味を持って充実した老後を迎えていければ本当に幸せでしょう。
しかし、子供が育ってから離婚できる夫婦は少なく、精神的にも体力的にも難しくなっていきます。
あなたの人生とは何だったのでしょうか。
体力精神力もまだまだあって、まだまだ人生をやり直すことができ、再婚もまだまだ可能な40代前半までに離婚すべきだと思います。
たった一回だけの人生ではありませんか。
今、子供たちと父子家庭になってもう14年目ですが、親の離婚時に子供たちのとてもつらかった経験を大人になった彼らから直接聞いて私は初めて知ることばかりです。
その子供たちも大学を卒業後に二人とも教師や行政事務職などの公務員になってくれまして、ほっと一安心したのもつかの間、今度は年老いた母が脳梗塞で要介護5という状態になり寝たきりとなりました。
今は私は週末は7年前に新築しました久留米の自宅におりますが、週の間は福岡の2か所の事業所に寝泊まりをしまして、仕事の合間に母の介護施設へ通っています。
しかし、失業、父の死、実家の処分、非正規雇用の肉体労働、離婚などの辛い辛いあの一時期を思えば、何とかなります!なんとかします!の心意気です。
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Posted by 心理カウンセラー 大屋ともこ